なぜ韓国は「対馬もわが領土」というのか

竹島問題で対馬の領有を叫ぶ韓国

中学社会科の新学習指導要領の解説書に竹島(韓国名・独島)の領有問題が初めて記述されることに反発して、平成二十年七月、「大韓民国傷痍軍警独島死守決死隊」を名乗る韓国の退役軍人ら二十一人が対馬市役所前で日本側に謝罪と撤回を求める抗議を行いました。
彼らはその時、「独島は韓国領土、対馬島も韓国領土」と書いたTシャツを着てアピールしていました。
また、竹島が島根県に編入されてから百年にあたる平成十七年(二〇〇五年)に島根県議会が、これを記念して編入の日である二月二十二日を「竹島の日」と制定したところ、韓国の馬山市議会は、これに対抗して即座に「対馬の日」条例を決議しています。
さらに、平成二十年七月、韓国国会では「対馬返還要求決議案」が国会議員五十名の連名で発議されています。

韓国は竹島より早く対馬領有を主張していた

竹島の領有問題で、なぜ韓国は対馬の領有も主張するのでしょうか。
それは、単なる嫌がらせでも、報復行動(日本が竹島領有を主張するなら韓国も対馬領有を主張する)でもありません。
韓国は、竹島領有を主張するより先に、対馬の領有を主張していさらに、平成二十年七月、韓国国会では「対馬返還要求決議案」が国会議員五十名の連名で発議されています。

韓国政府は、昭和二十六年(一九五一年)、主権回復後の日本の領域を定めるサンフランシスコ講和条約の草案が作成されていた時期に、当時日本を占領していたアメリカに対し、対馬と竹島が韓国の領土であることを認めるよう求めた文書を送っています。
竹島についてはこの年七月十九日に送っていますが、対馬については、それより約三ヶ月早い四月二十七日に送っているのです。

このとき、アメリカは、「対馬は日本が長期間にわたり完全に統治しており、講和条約は対馬の現在の地位に影響を及ぼさない」、「竹島は、一九〇五年以降、日本の島根県の管轄下にあり、韓国からの領土権の主張は過去になされていない、とアメリカが認識している」と答え、当然ながら、いずれも韓国の要求を拒否しています。
しかし、韓国は、対馬への実力行使は断念したものの、竹島については、日本の主権回復直前の昭和二十七年(一九五二年)一月、武力占拠をしたのです。以来、韓国は日本の度々の抗議にかかわらず不法占拠を続けています。
対馬は、約半世紀前に、竹島と同様に韓国に占領されたかも知れない、ギリギリの局面を迎えていたと言えるのです。


室町時代の侵略以降、対馬領有の認識が受け継がれた

では、何を根拠に韓国は対馬の領有を主張するのでしょうか。

対馬は、古事記・日本書紀に登場するだけでなく、あの「魏志倭人伝」にも倭国の一つとして記されている、古来からの日本固有の領土です。
さすがに、韓国もこれは否定できません。
ですから、ある時点で、韓国に服属したのだと主張するのです。
その時点とは、西暦一四一九年、韓国は李氏朝鮮の時代、日本では室町時代の応永二十六年にあたります。
このとき、李氏朝鮮が倭寇征伐を名目に軍兵一万七千人で来襲する事変が起きます。朝鮮軍の一部が上陸して村人を殺し、村落の家々や船を焼くなどした明白な侵略行為でしたが、迎え撃った対馬の兵が、激戦の末多大な損害を与えて撃退しました。
これを日本では「応永の外寇」と呼びます。
この時の和平交渉で、対馬の領主・宗氏が、李氏朝鮮の面子を立て、また朝鮮貿易の特権を得るために、朝鮮からの信印(印章)を受けたことが、韓国の対馬領有を主張する上でのほとんど唯一の根拠らしきものとなっているのです。

このときも、李氏朝鮮は対馬は古くから自国の領土だと主張していますが、宗氏は明確に否定しています。
しかし、朝鮮側の主張はその後の朝鮮の書物に受け継がれていったようです。
馬山市議会の「対馬の日」条例の制定日は、この応永の外寇で朝鮮軍が出撃した記念日に当たります。
馬山は、李氏朝鮮軍が出撃した基地だったのです。
韓国は、竹島の存在を一九〇四年(明治三十七年)頃まで知らず、それまでは当然その領有を意識したことすらありませんでした。
しかし、対馬については、その五百年以上も前から「自らの領土」との認識が受け継がれていたことになります。


韓国政府の現在の見解にかかわらず韓国民の対馬領有熱は高い

この馬山市議会の「対馬の日」条例制定のとき、韓国政府は「韓国が対馬島の領有権を主張する国際法的な根拠はなく、そのような主張を続けると独島をわが領土とする主張の信頼性が損なわれる」との公式見解を示しています。
しかし、これまで韓国政府が「従軍慰安婦問題」など日本との歴史認識問題で、反日に激化する韓国国民に迎合して度々その見解を覆してきたことを思えば、長い歴史を持つ対馬領有意識がいつ韓国民の感情を支配し、この韓国政府の見解を覆させることになるか、決して予断は許されないのです。
実際に、韓国東岸沖の鬱陵島には「独島(竹島)博物館」があり、多くの愛国的な韓国人が訪れていますが、その野外博物苑には「対馬島本是我國之地(対馬は元々韓国の地)」と彫られた大きな石碑があります。

また、インターネット上では「韓国の対馬」という歌が配信されて二十万件以上のアクセスが記録され、「対馬の韓国への経済依存を深めさせ、韓国人の定住者を増やして多数派となり、外国人地方参政権を獲得して、住民投票などで韓国への帰属を決定する」などといった「対馬返還戦略」を議論するサイトが人気を集めています。
そして、近年急増している対馬への韓国人観光客の中には、「対馬は韓国の領土だ」とシュプレヒコールを挙げて盛り上がるグループも少なくありません。

私たち日本人は、対馬が日本の固有の領土という当たり前の事実に油断せず、韓国民の中に蓄積される対馬領有熱がどのような形で噴出しても、万全の対応できるように備えを怠らないことが大切です。


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